「デジタルツイン」が生まれた背景とは

1970年、NASAによって打ち上げられたアポロ13号は、事故によって月探査ミッションの中止を余儀なくされました。その際の地上スタッフの重要な任務は、クルーを無事に生きて地球に帰還させることでした。しかし、アポロ月着陸船がいるのは地球から約33万kmも離れた場所です。地上スタッフはどのようにして次に打つ手を考えたのでしょうか?

NASAが考えたのは、まず地上に宇宙船の模型を構築し、それを用いて救出ミッションをシミュレーションしたうえで帰還計画を立案するというものでした。こうしたシステムこそが、実は現代の「デジタルツイン」と呼ばれるものなのです。

現在、エンジニアはデジタルツインを利用してあらゆる物理的な部品を製造する際の「前段階」「製造中」「製造後」の各段階において、仮想環境上でさまざまなシナリオテストを行うことができます。

「デジタルツインの究極の目的は、仮想環境上で機器を作成したうえでテストを行い、構築することです」こう説明するのは、このコンセプトの発案者であり、NASAの製造技術の第一人者でもあるJohn Vickersです。NASAがデジタルツインを利用した理由は、デジタルツインの方がミッション失敗にかかるコストよりはるかに安価だったからだと言われています。

以降では、現在は自動車や都市などあらゆるものの設計、構築、運用に、デジタルツインがどのように利用されているのかを解説します。 

 

自動車業界でもデジタルツインを活用

新興の自動運転車産業や電気自動車産業は、デジタルツインの活用の良い例です。例えば、テスラは製造するすべての車についてデジタルツインを作成しており、車と工場の間で常にデータを共有しています。さらに、デジタルツインを利用して絶えず性能の微調整とテストを行い、車に最新のソフトウェアをインストールしています。

DXCのRobotic Driveプラットフォームは、将来的な自動運転車開発に対しても、研究開発チームにデジタルツインを提供しています。研究開発チームはデジタルツインを利用することで、エクサバイト級のグローバルなセンサーデータに対して、高度な分析の実行や研究サイクルの短縮、市場投入時間とコストの削減ができるため、完全自動運転車の開発競争において優位に立つことができます。

「私たちは、ドライバーとその運転、車とその動作、道路上の他の車、道路そのもののデジタルツインをすべて作成することができます。デジタルツインは膨大な量のデータをキャプチャしますが、DXCは複雑な動作を認識するために、高度な分析を通じて、キャプチャされたデータの解明に取り組んでいます」と、DXCテクノロジーのシニアバイスプレジデント兼最高技術責任者である Dan Hushonは語ります。

 

都市のデジタルツインに必要な3つのコア機能

計画、設計、サステナビリティ(持続可能性)の向上を目指すべく、都市にもデジタルツインのテクノロジーが活用されています。

その基礎となる技術が「ビルディングインフォメーションモデリング(BIM)」です。この研究分野は、数十年もの間、建築家や開発業者によって、建物、橋、その他の公共インフラの計画や設計に活用されてきました。現在BIMは、世界各国の政府、プランナー、規制当局、建設業者によって使用されるなど、国際的な標準規格にもなっています。

BIM標準、研究分野、プロセスにおいて成功を収めるにはテクノロジーの活用が不可欠です。デジタルツインでは、建物のモデルを取得し、高度な分析ツールや最新のエンジニアリングテクノロジーと組み合わせて動的レプリカを作成します。動的レプリカでは、設計、施工、運用、保守の各段階にまたがって、個別の建物から都市全体に至るさまざまな規模の物理的な構造物のライフサイクルをシミュレートできます。

「スマートシティのデジタルツインは、『フェデレーション環境』、『正確なデジタル表現』、『豊富なインサイト』という3つのコア機能に基づいて構築されます」と、DXCテクノロジーの旅行・運輸・ホスピタリティ業界のグローバルビジネスイネーブルメント担当バイスプレジデントであるRob Gordon は述べています。この3つの機能について見ていきましょう。

  • フェデレーション環境
    1つめのポイントとして、主要な都市インフラの設計、建設、維持管理には多数のステークホルダーが関与するため、コラボレーションが不可欠です。「アセットのライフサイクルに関与するすべてのステークホルダーが、デジタルツインにアクセスできなければなりません」とGordonは言います。適切なセキュリティ、命名規則、データ標準、アクセス許可を備えた信頼できる唯一の情報ソースは、デジタルツインの整合性を保つうえで極めて重要な要素です。
  • 正確なデジタル表現
    次のポイントとして、他のデジタルシステムと同様に、データの正確性を維持することが極めて重要であるということです。アセットを構築、維持、交換する過程ですべての要素を更新しなければ、デジタルツインで現実の都市を正確に表現することはできません。インフラにセンサーが埋め込まれていれば、デジタルツインを常に最新の状態に保つことができます。
  • 豊富なインサイト
    最後に、正確なデジタルツインがあれば、ユーザーは、経済、効率性、環境への影響など、物理的なアセットにもたらされるシナリオをシミュレートすることができます。また、AR(拡張現実)、3Dビジュアライゼーション、リアリティモデリングなどの没入型の体験によって、ユーザーは運用上のインサイトを得ることができます。

 

シンガポールにおけるデジタルツインの事例

DXCテクノロジーのシンガポール公共セクター担当ゼネラルマネージャーである Gordon Heapによると、「世界各国が公共インフラのモデルをデジタルツインで構築していますが、その中でもシンガポールは、実際に都市全体のモデルを構築している好例の1つです」と述べています。

シンガポールでは7,300万シンガポールドルを投じて都市全体のライブデジタルレプリカを構築しており、実際に政策を実施する前に公務員がそれを利用して、仮想実験を行ったり、シナリオテストを行ったりしています。

このレプリカは公務員向けの中央プラットフォームとして作成されたものです。一方でシンガポール市の建築・建設局(BCA)は、建設・エンジニアリング部門によるテクノロジーの活用の推進を目的とする統合デジタルデリバリー(IDD)計画を策定しました。

IDD計画は、BIMと仮想設計施工(VDC)のテクノロジーを基盤としていると建築・建設局は説明しています。建築・建設局の最高執行責任者(CEO)である Hugh Limは、「IDDを利用することにより、プロジェクトのステークホルダーは、ICTとデータを活用してより密接に連携を図り、これまで以上の高い統合レベルを達成することができます」と話します。

この取り組みは、テクノロジーで建設業界を変革する国家戦略の一環として発表されたもので、政府機関や建設部門にテクノロジーの活用方法のトレーニングを実施するための資金やスキームによって支えられています。また、建築・建設局は、建設部門のデジタルプラットフォームを開発するため、インフォコム・メディア開発局と共同で400万シンガポールドル規模の公募を実施しました。

 

設計や建築での柔軟性を飛躍的に向上

シンガポールの最終的なビジョンは、建設のあらゆる段階でデジタル技術を活用することです。設計段階では、デジタルツインがクライアントとの調整や規制要件への対応に役立ちます。「もちろん、建築家は設計段階でこれらの要素を検討しますが、サイロ化されたモデルやA0サイズの建築図面の中では制約があるのが現状です。しかし、デジタルツインを利用すれば、設計の相互依存要素が変更されたときに動的な再調整を行うことができます」とHeapは述べています。

設計仕様書をデジタルで製造センターに送信できるため、製造センターは最も正確な詳細情報を取得でき、納入までのタイムラインを追跡できます。また、構造に追加された新たな要素を3Dモデルと照合することもできます。

「建設現場の管理者は、MR(複合現実)を利用し、建設作業中の物理的アセットと仮想設計の両方を視覚化することができます。これにより、関係者同士の衝突を回避または解決し、プロジェクトをスケジュール通りに進めることができます」とHeapは説明します。

建設現場では、管理者や作業員が部品の正確な吊り上げ位置や組み立て方法を確認したり、最終的にはインフラの最終的な運用とメンテナンスをデジタルツインに記録したりすることができます。「障害発生を予測し、メンテナンス、修理、オーバーホールのプロセスを補強することで、長期的なサステナビリティ向上の処置を記録できます」とHeapは語っています。 

 

デジタルツインを採用する国々

世界中の多くの国の政府が、デジタルツインについて国家戦略的な見解を示しています。その中でBIMなどのデジタルツインの基礎をなす研究分野が重要な要素であることは明らかです。

ドバイでは、大規模プロジェクトでのBIMの利用を義務付けています。英国はBIMの国際的リーダーであり、BIMを基盤として、公共インフラの国家的なデジタルツインの構築を提案しています。EU(欧州連合)のホライズン2020プログラムでは、今後3年間でデジタルツインの構築に2,000万ユーロの資金を投入すると発表しています。

シンガポールでは、デジタル技術のパイロットサイトの役割を果たす12の建設プロジェクトを政府が選定しました。その中には、デジタルシミュレーションとデジタルモデリングを利用し、欠陥の早期発見、リアルタイムでの安全性の追跡、建設段階における精度の向上を可能にする物流ハブがあります。

「この物流ハブには、自動化、ロボット工学、持続可能テクノロジーを建物のライフサイクルに組み込むパートナーシップを構築するためのイネーブラーとして、BIMとデジタルツールが活用されています」と開発業者JTC Corp.のエンジニアリング・オペレーション担当アシスタントCEOであるHeah Soon Pohは話します。

暮らしやすさとサステナビリティを向上させるために、今後より多くの都市がBIM標準とBIMプロセスに基づくデジタルツインテクノロジーを採用していくでしょう。


著者

Gordon Heap(ゴードン・ヒープ)
DXCテクノロジーのシンガポール公共セクター向けエンタープライズサービス事業担当ディレクター兼ゼネラルマネージャー。

 

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